クリエイティブな社会

前項:日本のソフトウェア産業のゆくえでソフトウェアが、

(a)生産性の向上
(b)付加価値の創造

に役立つ力があることを指摘しました。本稿の議論を進めるために、ここに挙げた生産性、付加価値について解説しておきます。

生産性(即ち労働生産性)は 付加価値/労働量 で表現されます。このように生産性は付加価値と労働量の比ですから、生産性が上がるということは、「(ア)労働量が変わらないなら、付加価値が増加したということを意味」し、「(イ)付加価値が変わらないなら、労働量が減ったことを意味」します。

ここで、注意しておかなければならないことは付加価値(額)とは営業利益+人件費+家賃等の賃料+減価償却費であり、労働量を減らせば付加価値の人件費分が減るということです。

極端な言い方をすれば、ある企業の生産性が向上している場合、その企業の売上が大きくなっているときには、上記の(ア)に対応します。売上が縮小しているときには(イ)に対応します。企業が付加価値を上げ、かつ労働量を減らせば生産性は上がります。グローバル経済では各企業はこのようなやり方をとるべく、製品やサービスの比較優位(他国に比べて優位)を活かし、労働力を人件費が安い新興国に求めて、工場を中国などの新興国に移転しているわけです。現在のところ、日本の製造業は比較優位産業ですが、中国などの新興国が猛追してきています。このような状況はこれからも変わらないでしょう。

もう1つの重要な経済の概念は要素価格の均等化です。自由貿易の下では、同じ生産設備や技術・技能をもち、低賃金で製造された安い価格の製品と同じ製品を高賃金で製造提供していると、生産要素である賃金(要素価格の1つ)は等しくせざるを得なくなるというものです。当たり前のことですが、人件費が安い国に比べて生産設備や技術・技能が勝り、品質に優れ、生産性が高ければ必ずしも成り立ちません。しかし、これらの優位性を失うと賃金も合わせなければ勝負にならないということです。

生産性や付加価値とソフトウェアがどのように関係してくるのでしょうか。家庭用の機器や工業用機器、自動車、カーナビなど多くの機械はコンピュータを内蔵し、組込みソフトウェアで制御されています。また、工場の生産管理、鉄道の運行管理・安全管理、航空管制、銀行システム、POSシステムなどではコンピュータが使われています(当然ですが、そこではソフトウェアが使われています)。こうした機械やシステムは枚挙にいとまがありません。生産性と付加価値の意味について先に述べましたが、ソフトウェアの導入が機械や工場経営などにどのように関係しているのかを見なければ、ソフトウェアと生産性や付加価値との関係を明らかにすることはできません。典型的な例を挙げてその関わりを示しましょう。

自動車生産に産業ロボットが使われはじめたとき、自動車産業は世界的に伸びていました。産業ロボットはソフトウェアで制御されています。プログラムされた通りに動作し、生産工程のかなりの部分は自動化されました。その分、労働量が減ったわけではなく、増産に次ぐ増産で営業利益が増えていますから生産性を向上させました。産業ロボットで使われているソフトウェアは生産性の向上に役立ったわけです。

自動車関連の機器としてカーナビをみて見ましょう。これも中を覗くとソフトウェアがぎっしり詰まっています。カーナビは紙の道路地図に代わる製品としてドライバーの利便性を向上させました。車社会における必需品になっています。カーナビは新しい産業を起こしたのです。その裏では紙の道路地図の必要性は一気に下がりました。ソフトウェアが付加価値の創造に役立ったわけです。

このようなソフトウェアの活用は中国などの新興国でも進んでいます。日本がじっと立ち止まっていれば直ぐに追いつき追い抜かれてしまいます。日本は常に生産性向上と付加価値の創造を追求し続けなければ、要素価格の均等化により賃金を下げざるを得なくなるだけなく、仕事を失うことになります。

日本が生き延びて行くためには比較優位産業を育成し、産業の生産性を向上させ、付加価値の創造を継続することです。このような抽象的なことを言っているだけでは埒が明きません。具体的にどんな産業を対象として、その産業の生産性を向上させ、どんな付加価値のある産業を創造するかが問題となります。

以上から分かるように、日本が取り組まなければならないことは、既存産業の生産性を徹底的に向上させ、そこから排出されてくる労働力を新しい産業に投入することです。この新しい産業を生み出すことが付加価値の創造ということです。上述の自動車産業の産業ロボットやカーナビのように、ソフトウェアは生産性の向上と付加価値の創造のどちらにも大きく貢献することができます。

既存産業の生産性向上については、大規模営農など、既に始まっている事業があります。そこではICT(ソフトウェアを使用)の活躍が期待されています。緒に着いたばかりかもしれませんが、日本の農業は大きく変貌していくものと思います。

では、付加価値の創造については、どのようにして対象を見つけることができるのでしょうか。私は、生活の中の歪みにヒントがあると考えています。いくつか例を挙げましょう。

(1)満たされていないニーズ

多くの製品は大量生産により比較的安い価格で入手できるようになりましたが、大量生産は個人の好みを犠牲にして成り立っています。消費者は価格とのトレードオフで好みに近い商品に甘んじています。もちろん、現在でも大金をはたけばオーダーメードの家、家具、洋服/和服、靴などを手に入れることができます。しかし、価格をさほど上げないでオーダーメードの製品を入手できないでしょうか。例えば、仕立て屋ボックスという機械を考えてみます。この中に30分ほど入って好みのサイズ、生地、デザイン、コーディネーションを選び、価格は量産品に比べてプラス数千円位で注文できるサービスが欲しいと思いませんか。単行本にしても、装丁やサイズ、紙質、文字の大きさ、フォントなどを好みのものにしてほしいと思うのですが、そういう商品はありません。これらは私の願いですが、人それぞれのニーズを満たす商品づくりが期待されます。ソフトウェアを活用すれば可能なことです。

現在、作品を3Dスキャナーで撮り、そのデータを使って3Dプリンターで複製を制作することが可能な時代になっています。これは造形作家にとって魅力的な生産技術と言えましょう。一つの作品から複数の複製品を生産できるのです。CADを使えば個人の好みに合ったデザインに簡単に変更することもできます。この生産技術は工業製品にも応用できますので、少量であっても好みに合った製品の廉価生産を可能とするでしょう。

ソフトウェアは無限の可能性を秘めていますので、満たされなかったニーズを満たすビジネスが数多く出てくるのではないかと思います。

(2)林業の衰退

 林野庁のデータによると、日本の国土の67%は森林で、国土の28%は人工林です。しかも、建築材などに適した豊かな森林があります。日本の森林は江戸時代から大切に管理されてきたものですが、太平洋戦争時の軍事目的や戦後の住宅建設のために大量に伐採されました。その後、植林が行われましたが、需要に追い付かず、価格の安い外材の輸入が続いてきました。その結果、国内の林業は衰退してしまいました。林野庁によると平成32年における総需要の50%を国産材で賄うという目標を立てています。その際、地球温暖化対策、生物多様性の保全、山村の振興等に配慮した計画を推進していくとしています。

森林資源は約50年サイクルで再生産される息の長い資源ですが、国土と森林の再生産期間を念頭におくと毎年消費できる資源量は計算できます。また、過去に伐りだした木材の利用期間をできるだけ長くすること(25年しか持たない家から100年持つ家にするなど)によって生れる余剰資源で木材の活用分野を広げることができます。

それだけではなく、森林資源の再生産から消費に至る工程をきめ細かく管理するシステムを開発することにより、無駄な伐採の防止、目的別(建築木材、家具木材、バイオマス材、土木用資材など)資源管理を効果的に行えるようにできます。資源となる木は一本一本に管理タグをつけ、顧客の要望に合わせて、最適な木を伐りだし、製材し、利用者に届け、次の再生産のための植林を行うというライフサイクルの工程管理を行なえば、国内資源が有効に活用されます。こうした施策により、林業を通して新しい付加価値を創造することができます。

(3)女性の働き難さ

 IMFのCan Women Save Japan?という報告書によれば、日本は世界のどこよりも高齢化が進んでおり、2040年には65歳以上の人口割合は36%に達し、生産年齢人口は1997年に8,700万人だったのが2050年には5,500万人に減少する見込みです。生産年齢人口減少の問題解決には女性の労働参加(FLP:Female Labor Participation)が欠かせません。日本のFLP率は欧米に比べて低く、せめて70%位になればGDPを押し上げる効果があると指摘されています。単にFLP率を上げることだけではだめで、仕事に対する性差別の完全撤廃や仕事をもつ母親を支援する、きめ細かな施策の国を挙げた取組みが必要です。

FLP率引上げは国家プロジェクトとして取組まなければなりませんが、ICTも一役買うことができます。

全労働に占める知識労働の比率は年々上昇し、ソフトウェアが使用される機会も増加しています。Webアプリケーション(Webを活用した業務アプリなど)の開発はクラウドのホスティングサービスを活用することによりサーバ運用の重荷から解放されました。その結果、純粋にアプリケーションの開発だけで業務システムの構築と運用ができるようになっています。

学校を卒業し、IT関連業務に就いた女性が出産や育児などの理由で退職し、せっかくの技術や技能を無駄にしている事例は多いのではないでしょうか。こうした女性が育児をしながらリモート(在宅)でソフトウェア開発や情報関連業務に就ける技術基盤ができたのです。この技術基盤を活用し、ビジネス化すれば、眠れる女性パワーを付加価値の創造につなげることができます。

付加価値の創造については、他にもいろいろなやり方があるでしょう。どのようなやり方であるにせよ、現在の日本では新しい価値の創造が必要となっています。

私達が生きて行く社会は、政治や経済をはじめとして刻々と変化しています。国、自治体、企業/団体、個人は将来を見据えて、自ら変化に対応していかなければなりません。既存の産業(事業)の生産性を向上させ、さらに新しい産業(事業)を生み出して、付加価値の創造をしていかなければなりません。

そのためには、創造性を重視した社会(クリエイティブな社会)に目標を定めることが重要です。このクリエイティブな社会になるために、ソフトウェアの果たす役割は大きいと言えます。 ■

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