意識の集中

セザンヌはテーブルからリンゴが落ちそうで落ちない不思議な静物画を描いています。この絵をセザンヌは自分の感じたままに描いたのだろうと思います。

人はある対象を見るとき、その本質に迫ろうとして、いろいろな方向から見ています。対象は変わらないのですが、時間や位置、そのときの気の持ちようによって見え方が異なってきます。セザンヌはそういう見る側の心象を描いているのではないでしょうか。

このような見え方はセザンヌ特有のものでなく、誰もが生まれつき持っているものだと思います。

私たちが山野の景色を眺めたとき、大抵は興味を引かれた領域に焦点を合わせています。それ以外の領域はぼやっと見ています。そちらに視点を移すと今度は今まで見ていた領域がぼやっと見えて、新たに焦点を合わせた領域がはっきりと見えてきます。

このように、1人の人間でさえ、ある対象を見るとき、見え方がいつも同じではないのですが、意識の持ち方がはじめから異なる複数の人が同じ対象を見たとき、それぞれ異なる見え方をするのは当然といえます。

人は生きるために社会を構成するわけですが、同じ対象を異なる見方で解釈していてはコミュニケーションの取りようがありません。社会性を持った生物は人に限らず、アリでも、ハチでも1つの対象に対して、異なる個体が、同じ解釈をする能力を身につけています。アリやハチの場合、この能力は遺伝子に組み込まれていると考えられます。人の場合、アリやハチほど役割が決まっているわけではなく、人の社会性は生まれつきのものと後天的なものがあると思います。後天的なものは教育により身につけたものです。人がどのような社会に生まれたかによって、受ける教育が異なり、社会性のあり様も異なってきます。

複数の人が協力して作業するプロジェクトでは、目的のシステムを構築するために、作業工程を規定し、工程ごとに担当者を割り当て、それぞれの行程で複数の人がコミュニケーションをとりながら作業を進めます。各工程で誰が何を行うかを決め、実施し、その結果が満足のいく成果を収めたか確認し、・・・という作業を作業手順書として規定しておきます。各担当者は全体の中で自分が何をするのか、手順書に規定されたやり方で行なわなければなりません。

プロジェクトの各担当者は現在置かれている立場を認識し、作業に集中することを要求されます。先に述べたように人はアリやハチのように100%役割を認識しているわけでなく、人はややもすると各自の思いに引きずられたり、意識が集中できなかったりします。その結果、多くのプロジェクトで失敗してしまいます。

プロジェクト管理で使われているウォターフォルやアジャイル方式は複数の人が意識を合わせ、工程の作業に集中できるようにデザインされています。プロジェクトの初めの段階でシステムの全体像が分かるようにし、続いて複数の順序のある工程に分解して作業を進めますが、プロジェクト全体の状況を見渡して進行状況に目配りしている人、各工程の作業を具体的に進める人が存在します。どの立場の人も、意識を集中させていなければ、誤りを犯し易くなります。

一人ひとりが意識を集中し、その状態を継続するために相当のエネルギーが要ります。複数の人が関わるプロジェクトで全員がそれぞれの作業に意識を集中し、継続するのはたやすいことではないでしょう。しかし、これを克服しなければプロジェクトを成功させることはできません。 ■

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